大判例

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山形地方裁判所 昭和57年(人)1号 判決 1982年4月20日

請求者

山崎君子

右代理人

細谷芳郎

被拘束者

山崎花子

山崎太郎

右両名代理人

阿部哲太郎

拘束者

山崎陽一

右代理人

小林昶

主文

被拘束者両名を釈放し、いずれも請求者に引き渡す。

本件手続費用は、拘束者の負担とする。

事実

<前略>

(被拘束者ら国選代理人の陳述)

一 被拘束者両名は請求者を世帯主とする請求者の肩書住所に住民登録され、昭和五七年三月一七日当時、被拘束者花子は○○市立○○小学校の一年生、被拘束者太郎は保育園児であつたが、拘束者は同年三月二三日被拘束者両名の転出手続をなし、肩書住所の拘束者の父山崎運平の世帯員として転入手続をなし、同年四月○○町立○○小学校の二年生及び一年生として転入学及び新入学せしめた。

二 住居、環境、学校への通学路等の各状況、近親者らの援助の実情等については、両者間に、その一つ一つについては多少の差はあつても、全体として甲乙はない。強いていうならば、請求者の肩書住所のほうが住居、環境の面では、特に広い庭(空地)があり、日当りもよく、のびのびと子供達が自由に遊べる点で優つている。<以下、事実省略>

理由

一請求者と拘束者が昭和四九年二月一五日婚姻の届出をし、その間に、同年九月二一日には長女たる被拘束者花子を、昭和五一年一月二五日には長男たる被拘束者太郎を、それぞれ儲けたこと、昭和五六年一月七日、請求者が被拘束者両名を連れて、当時親子四人で生活していた○○市○○町から請求者の肩書住所の実家に転居し拘束者と別居するに至つたこと、拘束者が、昭和五七年三月一七日、被拘束者両名を請求者のもとから実力を用いて連れ出し、同日以降拘束者の肩書住所において被拘束者両名を監護養育していることはいずれも当事者間に争いがない。

すなわち、被拘束者花子は現在七歳六か月余、同太郎は現在六歳二か月余のいずれも意思能力のない幼児であるところ、拘束者らが意思能力のない幼児である被拘束者両名を膝下において監護養育することは、当然に被拘束者両名に対する身体の自由の制限を伴うから、それ自体、人身保護法及び人身保護規則にいう拘束にあたるものというべきである。

二次に、<疎明資料>を総合すると、一応次の事実を認めることができる。

1  請求者と拘束者は、前記のとおり、被拘束者両名とともに○○市○○町に住んでいたが、昭和五六年一月ころ、請求者は拘束者から暴力を振るわれたため、○○市○○町から被拘束者両名を連れて肩書住所の実家に戻り、請求者の実母が経営するアパートの一部に居住して被拘束者両名を監護養育し、以後、拘束者と別居するに至つた。そして、請求者は被拘束者花子を○○市立○○小学校に一年生として入学させ、被拘束者太郎を○○市○○所在の○○保育園に園児として通園させていた。そして請求者はそのころ拘束者との離婚を決意し、請求者主張のとおりの離婚訴訟を提起した。

2  ところが、昭和五七年三月一六日午後零時五〇分ころ、被拘束者花子が前記小学校から下校途中、拘束者が突如としてあらわれ、同児を自動車に連れ込み、次いで前記保育園の行事として○○市内のNHK放送局見学に行つていた被拘束者太郎を同人の「おじ」と偽つて連れ出そうとしたけれども、担任の教諭にこれを拒絶され、被拘束者太郎は保育園当局者に保護され、拘束者に連れ去られることから免れた。そしてその間被拘束者花子も拘束者の自動車内から自力で脱出してその拘束から逃れた。

3  そして、同月一七日、請求者は被拘束者両名を学校や保育園を休ませ請求者の母の応援を得て拘束者による奪取を警戒していたところ、夕食をとろうとしていた同日午後八時三〇分ころ、突如拘束者が請求者らの居室に押入り、「いやだ。」と叫ぶ被拘束者花子をつかまえて左の脇の下にかかえ、次いで机の下にもぐりこんだ被拘束者太郎をも引出して右脇にかかえ、請求者らがこれを押し止めようとする暇も与えず、被拘束者両名を自動車に乗せて連れ去つたうえ、同月二三日には請求者の同意を得ることなく、被拘束者両名の住民登録を請求者を世帯主とする肩書住所から拘束者の父山崎運平を世帯主とする肩書住所へ異動させ、同年四月二日ころ、被拘束者花子については拘束者の住所地を通学区域とする○○町立○○小学校への転校手続を、被拘束者太郎については同小学校への入学手続を、それぞれ、経て、以後、現在に至るまで拘束者の肩書住所において、専ら自己の支配下におきその父母及び妹らとともに監護養育している。

以上のとおり認められるところ、拘束者は、被拘束者両名に対する共同親権者の一人であるものの、適法な手続によらずに一方の共同親権者である請求者の意思に明らかに反して意思能力を有しない被拘束者両名を連れ去り、これを排他的に監護しているのであるから、到底これを適法な親権の行使ということはできず、したがつて拘束者の被拘束者両名に対する監護は違法な拘束にあたるというべきである。

三そこで、本件において拘束者の被拘束者に対する拘束の違法性が顕著であるか否かについて検討するに、未だ幼児である被拘束者両名に対する拘束の違法性が顕著であるか否かは、請求者及び拘束者双方の事情を実質的に比較衡量し、そのいずれに監護させるのが被拘束者両名の幸福に適するかの観点から決せられるべきことは勿論であるが(最高裁判所第一小法廷昭和四三年七月四日判決参照)、右の判断にあたつては単に両者間の現在の事情をいわば静的、平面的に比較するのみでは足りず、拘束者が被拘束者をその拘束下におくに至つた経緯ないし態様やその際用いられた手段及び方法等いわば動的、時間的要素をも加味斟酌すべきものと考える。けだし、右のように解しなければ被拘束者を実力で奪取し、時を稼ぐ暴挙を追認する結果となりかねないからである。

以上の観点に立つて本件を検討するに、<疎明資料>を総合すると、一応次の事実を認めることができる。

1  請求者は現在、国道一一二号線沿いにある肩書住所たる実母経営のアパートの一部屋に住み、同所敷地内では、請求者の兄夫婦が○○販売店を経営し、その傍ら田畑を自作するなどして生活しており、請求者の実母も同敷地内に前記アパートを含め二棟のアパートを所有経営しており、いずれも経済的に余裕がある。請求者は、右アパートに居住しながら、昭和五六年一二月ころから化粧品販売のセールスをして月平均四万円の収入があるほか、○○市から生活保護として一か月約九万七、〇〇〇円を受給しており、右兄や実母の経済的援助も十分期待しうるものであり、請求者に生活上の支障は認められず、その他子供を養育する環境として問題とすべき点はない。

2  一方、拘束者は、○○駅前の大通りに面し、拘束者の実父が経営する○○店の二階に、拘束者の実父母、妹二人とともに居住している。拘束者の実父は○○の職にあり、人の面倒みがよく、実母、妹二人も子供好きであり、被拘束者両名もよくなついている。拘束者は、昭和五六年一二月ころから同町内の○○新聞販売店に販売専従員として勤務し、一か月約二〇万円の収入があり、生活上の支障もなく、幼児の教育環境としても格別の問題はない。

以上の事実を認めることができる。

右事実によれば、請求者には、経済的自立が十分でないうらみもあるが、実母や兄には生活上のゆとりがあり、その経済的援助も十分期待しうるとみられ、しかも被拘束者両名が未だ実母の直接の監護を必要とする年齢であるのに対し、拘束者は一応定職に就き、相当額の収入はあるものの被拘束者両名の監護養育は実母と二人の妹の援助によつており、将来にわたる監護教育についてはいささか不安定な要素も認められる。これらの諸点を考慮すると請求者と拘束者との被拘束者両名に対する監護環境はにわかに甲乙をつけ難いというべきである。

しかしながら、幼児期の精神の安定した成長にとつて、監護の継続性と安定性とが必須であることはいうまでもないところ、前記認定のとおり、請求者は被拘束者両名を昭和五六年一月ころから昭和五七年三月一七日に至るまで約一年二か月余にわたり監護養育してきたものであり、他方、拘束者による被拘束者両名に対する監護養育は被拘束者両名に対し転校あるいは入学の手続をとり拘束者のもとから通学させているとはいえ、その開始から未だ日が浅く、拘束者のもとで未だ安定するに至つたとまでは認め難いうえ、加えて拘束者の被拘束者両名に対する拘束の開始は、前記二の2、3で認定のとおり、請求者の被拘束者両名に対する平穏な監護を実力で排除し、被拘束者両名を請求者の許から奪取し自己の監護下においたというもので、その手段、方法及び態様は何人をも納得させ難いものがあり、かつこれが未だ幼い被拘束者に与えたであろう心理的影響をも併せ考えると、拘束者による被拘束者両名に対する拘束は、その違法性が顕著な場合にあたるものというべきである。

四よつて、請求者の拘束に対する本件人身保護請求は理由があるからこれを認容し、被拘束者両名を釈放することとし、被拘束者両名が幼児であることに鑑み、人身保護規則第三七条後段を適用してこれらをいずれも請求者に引き渡すこととし(本件については昭和五七年四月一〇日人身保護法第一〇条第一項の仮釈放の決定がなされ、被拘束者両名は仮に請求者に引渡されている。)、本件手続費用の負担につき人身保護法第一七条、人身保護規則第四六条、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(田中恒朗 泉山禎治 伊藤茂夫)

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